FC2ブログ

法螺貝の会 白山龍鳴会 (はくさん・りゅうめいかい)

法螺貝好きの法螺貝好きによる法螺貝好きのための同好会で全国の法螺貝愛好者が集まって交流し法螺貝を吹いて楽しんでいます。

三河大峰山と云われる砥神山(とかみやま) 

68.jpg 
砥神山

愛知県蒲郡市の東端にある砥神山(とかみやま)という山をご存じだろうか、三河富士とも三河大峰山ともいわれる、古くから信仰の山として修験者が集う山である。

前回ご紹介した山伏カフェの竹内さんが本拠地にしている山ということで、ご紹介させていただく。


64.jpg 
砥神神社 奥宮

砥神山の伝説では、橘諸兄卿(たちばなのもろえきょう)が十匹の鹿が駆け登るのをみて「あの山は何山だ?」と訪ねたが、まだ名が付いていない山だったので「それではあの山を“十鹿見山”と呼ぶように」と言われた。

以来「とかみ山」というのだそうです。また異説では、遠くから鹿が見えたので「遠鹿見山」で「とかみ山」というようになったとのこと。

また、砥神山の南西側に鎮座する砥神神社の社伝によると、この地にしばらく滞在していた橘諸兄卿は、砥神山に光る物が現れるのをみた。そして、夢の中に白髪の老人が現れ「その山は縁故ある霊地であるから、すみやかにワシを祀るがよい」と告げた。

恐る恐る「いかなる神におわしますか?」と尋ねると「ワシは登加美の神じゃ」と告げた。それで、砥神山の山嶺に「とかみの神」を祀ったのが砥神神社の始まりだと伝えられている。

以前は砥神神社と多賀神社がそれぞれあって、江戸時代に両社が合祀してしまい、それ以来、多賀神社の名が消えて、砥神神社になってしまったようだ。


img_312894_22112082_2_convert_20121101030224.jpg 
東峰の役行者像(蒲郡七福講建立) 

8c1829dbed3ac8c70cd33fcfe8b269e6_convert_20121101030541.jpg 
西峰の磐座

また砥神山の東北側に相楽神社があるが、この相楽神社というのが、以前は兎上神社(とかみじんじゃ)と呼ばれていて、熊野神社と八幡社が合祀されて今の相楽神社という社名になったということである。

砥神神社には他にも、兎上、兎頭、戸神、十鹿見、遠鹿見といった書き方がある。この「砥神」という名前は「砥鹿」と同じ意味だという説がある。名前だけではない、橘諸兄の伝説と砥鹿神社の縁起話が良く似ているのだ。


a0093767_10474595_convert_20121101030108.jpg 
 

1384.jpg 
くぐり岩 

CIMG2393_convert_20130129070844.jpg 
縄文の石室

砥鹿神社の『砥鹿大菩薩縁起』によると大宝年間(701~704年)、文武天皇が病気になられ、夢のお告げで教示された煙巌山(現鳳来寺山)に住む勝岳仙人を迎えるため、勅使として草鹿砥公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が遣わされた。

その途中、本宮山中で公宣卿が道に迷っていると、砥鹿神が老翁の姿で現れて道を教え、童子に案内をさせた。童子のお蔭で、ほどなく煙巌山にたどり着く事ができ、勝岳仙人に病気平癒の祈願を行って欲しい旨を懇願した。

仙人は上京して祈祷を行い、天皇の病気はたちどころに癒えた。その後、公宣卿は、天皇に本宮山で遭った不思議な老翁の話をし、再び本宮山に赴き老翁と再会を果たす。

すると老翁は、自分はこの山に二千余年も住む神であり、宮居を建て、人々を救いたいと告げた。公宣卿が、神の名を尋ねると、老翁は「私の名を問うならば、神代の昔の初めの神であると言おう」と和歌を詠み、衣を川に流して消えてしまった。公宣卿は、その衣の流れついた場所に、お祀りをしたと伝わる。


sagara004s_convert_20121101034802.jpg
相楽神社

a30487babc05b6457ace4af25b64eded_convert_20121101034848.jpg
兎足神社

ugasirajinja003_convert_20121101034925.jpg
兎頭神社 

さらに、砥神の呼び方で兎上、兎頭という名前から、豊川市小坂井町の菟上足命(うなかみすくね)を祀る菟足神社と、豊橋市高塚の菟頭神社(うがしらじんじゃ)とも関係してきそうである。

ちなみに紀元前5000年頃メソポタミヤに文明を築いたシュメール人はたくさんの神々を崇拝していたが、太陽神はウトウといった






Comment

Add your comment